マイティーの歴史 --- これまでの軌跡とこれから --- 2002年、美味しいお米が採れるのにじわじわと耕作放棄地など見られ、担い手不足が囁かれ始めるなどの現状を打破するための一案として足柄平野一帯で古くから生産されて来た「足柄茶」への転作移行案が浮上しました。理由は米栽培より収益が良いこと、作業負担が少ないこと、開成町の田畑は平地で作業効率が良いこと、景観が田園とマッチすることなどから、県農業指導員、町、農協が所管する足柄茶業センターのサポートもと、事業従事の生産者4人が所持する田畑をお茶栽培圃場への転用をはかりました。周辺の田畑の委託も受け約2haの田畑を改良し茶苗を植えました。数年後から茶葉の摘採が始まり、世の茶飲料の需要拡大もあり、少しづつではありますが事業お売り上げは上昇しました。栽培技術の習得に併せ機械も徐々に整え、平成23年には霜よけファンの設置も完了し本格栽培の環境は整いました。農協ブランド「足柄茶」として生産している品種は主に「さえみどり」という早生品種で栽培も霜に弱いなど難しい品種が圃場の大半を占めています。 神奈川県一面積の小さい自治体である開成町ですが近年人口増加率は神奈川県トップが続いています。総じて「便利な田舎町」と称され、その理由はが都心へアクセスが抜群に良いこと、インフラも整っており気候と大自然が残る街中は季節になると当たり前のように多くのホタルを観ることができます。時間はゆっくり流れ、水が良質で食べ物もおいしく住むには理想の町かもしれません。そんな良いところだらけの開成町ですが、一方時代の流れと共に大きな問題に直面しております。それは農業の後継者問題です。全国食味ランキング特A米に選ばれるほどの米処、酒処の開成町ですが代々引き継いできた地域の農業は大企業に勤める次世代はやはり従事したがりません。地域特産をけん引してきた「足柄茶」も冠婚葬祭には付き物だったギフト需要も低下し、更に家庭で茶葉と急須を必要としないペットボトル茶の普及の影響は大きく生産者にのしかかってきました。守ってきた高齢従事者たちが出来なくなった瞬間から田畑は荒れ始め耕作放棄地へとその様相は変化します。開成MyTea創設者4人も平均年齢が80歳を越え、時には炎天下での作業や重いものを持つなどの作業には無理が生じ、またそれぞれ体調を崩し疾患を抱える状況になってきているなど事業継続は困難な状況となりました。ニュースを賑わせている高齢者の自動車事故や熱中症などの問題はこの街開成町にも確実に押し寄せてきているにも関わらず、企業に勤める次世代は中々農業に従事する選択は出来ない現状がそこに存在しています。